今までの私へ、これからの私のために。

 

 

「自分を隠して立てるほど、舞台は甘くない」

大好きなゲームの台詞だが、まさにその通りで。

私は今まで本当の自分を隠して、繕ったキラキラの仮面で「私」を演じている。

 

まさに、今日はその仮面が剥がされた。

 

裸になった私は驚く程に弱くて、それは私が今まで目を背けてきた私の姿。

そんな自分が嫌で嫌で仕方が無くて、形から入ればそのように振舞えば私も手越祐也みたいになれるのではないかと、ずっとずっと演じていた。演じ続ければそれが真実になればいいのにって。

 

でもそれは叶わなかった。

 

例え演じ続けても、それは興味深いものであったとしても「私」は変わってない。

家族、伝統、その圧力の中で私は、目も当てられない程に弱いくせに「何時も強く居なければ」いけなかったから、強く居ようと無理をしていたんだ。

高校に入るまでいつも虐められていたし、蓋をしていたけれど初めて自殺しようと思ったのは小6の時だった。それから4年間は本当に苦しかったし、思い出したくなかったから実際に思い出せなかった。中学の時なんていつも死にたいと思ってた、同じ学年の子が自殺未遂をした時私は羨ましいと思った。私はそんな勇気なかったから、でもこの11階のベランダから飛び降りればいつだって簡単に死ねるのに。生きることも死ぬことも簡単ではないことにこの頃から気づいていたのに。私は家に帰っても親に話せる筈もなく、(なぜなら私は「強い子」だから。)いつも泣くのはベッドの中でくまを抱っこしながら。それは習慣になってしまった。泣き虫のくせに親の前で泣くのは今でも怖い。というか、親より怖いものは無い。私は一人っ子だし、一人孫だから、何をするにも期待をされ可愛がられ、それが当たり前で見放されるのが呆れられるのがずっと怖かったんだ。親が無理だと言ったら私にはできないんだと思った。ピアノはずっとやりたかったけれど「お前には無理だ」と言われ続けて結局習わせてもらえなかったし、モデルになりたいと言ったら「無理じゃない?女優とかなら分かるけど」と言われ。そのまま必死になんとか自殺せずに20歳まで大きくなって、やっと心の底からやりたいと思えるものができて、勇気を出して話したら「親に反対されて諦めるようならやめろ」とか「応援されないとできないのか」と言われ。まあ確かにその通りなんだけれど。

でも、そうだとしても、わたしは、ただ笑顔で「頑張れ」と言って欲しかったのに。

でも自業自得。そう言ってもらえないのは、早いうちに仮面を取らなかった私のせいだから仕方ないのだけれど。

 

今日は、裸の私を思い出させられて、あの時から変わっていない強がりの自分を、醜い自分を曝け出すことになってしまった。明るくてオープンで志高くキラキラした私という立派すぎる嘘が、初めて通用しなかった。でも14年間舞台芸術をやってて、初めて身に染みた。ものづくりの厳しさ。本当の自分を隠して立てるほど甘い場所じゃないということ。大学に入って成長したことも確かにあったけれど、それは服でしか無くて身体に染み込んだものはまだまだ少なかった。

 

自分の奥に踏み込まれるのが嫌で怖くて、こんなに弱い自分を誰にも知られたくなくて。人付き合い浅い奴が嫌いとか言っときながら自分だってむちゃくちゃ浅いくせに。だから、私も他人への深い関わり方が分からなくて。私を救ってくれた人達にも寄り添ってあげられてない。そのことがもっと嫌だと思った。

小中私が死ななかったのは手越祐也と彼女のおかげ。そしてそんな私が高校で死にたいと思ったことは一度もありません。辛くて尖っていた時は何度もあったけれど、私は初めて彼女だけではない沢山の人に認めてもらえたから。その中でもいつも傍に居てくれた子は特別だけれど、高校で出会った人はみんな私を救ってくれたと思います。私のこの分厚すぎるATフィールドに入ってきてくれる子達を、私はもっと愛して大切にしたいと思った。

 

だから、今日ここに私の過去の痛みを記すのは、なによりも私のためです。きっと読む人はなんとも陳腐な話だと思うだろうけれど、脆い私には酷い痛みだったし今でも深く残っている傷です。私が弱い私を受け入れて、一歩進むために。繕わなくても笑顔を向けられるために。